膠原病シェーグレン症候群の妊婦.

20歳で膠原病(シェーグレン症候群)になり28歳で結婚、妊娠。SSA抗体がどうなるのか、、、

『お母さんは大丈夫だよ!』

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その事件とは、

母の母。育ててもらえなかった実の母のところへ
離婚後住ませてもらうよう行ったそうです。

何日間か住んでいたのは覚えています。

大人になってから聞いた話。
その時母の母。おばあちゃんは
【子供がうるさい】【いつ出てくんだ】
など鬱陶しがってたそうで。

母は泣いて元旦那の母と父。
私のおばあちゃんとおじいちゃんへ電話。
夜遅い中車で迎えに来てくれたそうです。

姉は母が言っていたと言ってました。
『母に育てられたことがないから母の温もりを感じたことがなかった。と』
元旦那の母と父はいつ何時も今でも仲良くして
心配してくれ、助けてくれてました。


その後母の育った方に引っ越しました!

引っ越したボロボロのアパート。
お湯が出ないので温めたお湯を桶に溜めて身体など3人で洗ってました!笑笑

そんな生活でも幸せでした!!

近くにはおばさんもおじさんもいて
母が昼仕事の間はそっちに帰り遊んでもらってました!!


小学生2年生になる時
今の住んでいる市へまた引っ越しました!



どんな気持ちで母が引っ越しをしていたかは今でもわかりません。



そして大人になってから聞く話は
とても辛い話を沢山耳にしました。

姉から聞いて
そんな事もあったかもと思う事も。
その時は何も考えていませんでしたが。。


元旦那からは養育費はいらないと断っていた母。
それ程頑固な母には今まで本当に感謝しかありません。


ここからは重い話になります。
姉から話を聞きました



とある日海に行ったそうです。

姉と私の2人を連れて


母は私達2人を置いて
海に真っ直ぐ歩いて行ったそうです
一度も振り返る事なく。


姉は泣いて何度も何度も母を呼んだら戻ってきたと。



海に行った事は覚えてますが
ちゃんとは私は覚えていません。


そりゃ追い込まれますよね、


本当に申し訳ないと思うし、
その時の母の気持ちを考えると辛いです



母にとって近くに直ぐに助けてくれる存在の母はなかったのだと。

そんな母は強いと思います。



他にも休みの日などは
ショッピングモールのフードコートへ3人で行きました!

『好きなの食べなさい』

そう言われるが我慢を覚えている私はお母さんが食べるものを一緒に食べようかなと。
小さいながらに常に我慢というかなんでしょうか、
ワガママを言ったらダメだな。
そんなことばかり考えていました。
姉は好きなものを食べ、私も食べていました。


が。、

『お母さん何か食べないの?』


『お母さんは大丈夫だよ!お腹空いてないから』

いつもそう言ってました。

いつもです。


私は何でだろと思っていたとおもいます。


大人になり姉から聞いた時は胸が苦しくなりました。

『お母さんは多分我慢してたんだよ。』

1人で育てる母にとって外食は出費が大きいと思います。
私達に好きなものを食べてもらいたくて
お母さんは何も食べず我慢していたのだと。


ごめんとしか言えないです。


ワガママも言えず
我慢を覚えてしまった私は今でも癖です。

人の顔色を伺う事が多いかなと。



お母さんは強いです。

迷惑をかけることも沢山あるのに

私は病気になり更に負担をかけさせたなと。


今でも母には頭は上がりません。



ありがとう、お母さん。