膠原病シェーグレン症候群の妊婦.

20歳で膠原病(シェーグレン症候群)になり28歳で結婚、妊娠。SSA抗体がどうなるのか、、、

どうして。




なんで。どうして、、。



神経質、せっかち、動かないと気が済まない
頑固、などなど私の性格はこんな感じ笑笑

ストレスが溜まったのかな。
なんて思いながらも


【なんで私なの、、なんで私が。】



考えても考えても涙しか出ませんでした。
これを受け止めるのにどのくらいかかったのかな。。


受け止めきれない気持ちと、
あまり他の人には心配をかけさせたくない。

そんな気持ちから
今でも家族、親友、パートナーにしか話してません。


病気を知られるのが嫌だからではなく、
心配をかけさせたくない気持ちから
話はしません。


母子家庭で小さい頃(大体3歳頃)から
母一人で育ててきたので
母を思うばかりに我慢や気持ちをあまり口にする事が癖になりました。
姉は全くの別物でワガママだったなと。。笑笑


母が悪いわけではない。
【お母さんに迷惑はかけれない。】
小さいながらに何か感じ取ってたのでしょう。


今になって本当に子供って凄いなと思います。




そんな癖からなのか今までのパートナーには
ワガママが言えず、私が守らないと。
そんな精神からダメ男を好きになるのか
ダメ男にしてしまうのか。。そんなことばかり。



どうして私は幸せになれないんだろう。



体調も悪くなるし、薬も飲んでいるので
パートナーには病気の話をしましたが
口では心配をした言葉があっても
本当に具合が悪くて動けない時は
全くと言っていい程わかってもらえず
怒られたこともありました。


【こんな私が悪い。】



何度も浮気もされてきたことも
知らずに2番目になってた事も
結婚していたことなど


【こんな私だからだよね。】



そんな経験を続け更に我慢やワガママ
病気の事など言えず人間不信や男不信になりました。



【私が悪い。、】

【神様はどうしてこんな病気にさせたのかな。】





膠原病診断後のお話

診断後の事。

診断結果としては
『シェーグレン症候群』

発熱、疲労感、関節痛、リンパの腫れ、浮腫、
ドライアイ、ドライマウス、手足のこわばり、
筋力の低下、レノイー現象など沢山の症状がありました。


疲労感は特に眠い、だるいなど。
他人には理解してもらえない事もありました。


血流が悪いため関節痛があり、更に手足のこわばりが。。

時には手をグーにする事も、歯磨き粉を絞ることが出来ない程力が入らない事も。。


1番困ったのはレノイー現象。
雪国の私にとっては付き合っていくのが大変でした。


指先足先は血流が回らない為
冷え切ると真っ白に、、、
この先まで行くと青紫になります。
そのまま放置すると壊死すると言われました。



昔から母子家庭なので母は夜の仕事をしていました。
小学生の頃から学校から帰ってきて会える時間は2時間程度、すごく寂しかったです。
今思うと育てる為に必死だったのかなと。
【母の事は後程記事にします^ ^】


食生活はレトルト、菓子パン、うどん、ラーメン
簡単な食事で食生活は悪かったと思います。
病気になり手料理も上手な母ですが
忙しい時はこんなものを私は食べていました!





動けなくなる事は無くなりましたが
1ヶ月に一回の通院と検査が続く日々でした



先生の言った一言
【難病なので完治はしないですよ】と
どことなく、人生が終わった感じがしました。





膠原病が発症した時 ⑦

発症してから5日目。


2時間かけてとある病院へ


血液検査などの検査が終わり


【毎週日曜に交代で順天堂大学から先生が来るので
その時検査結果と診察してください】



そう言われ何日か過ぎた日曜日に
再び病院へ。



ものすごく優しそうな柔らかい先生




まさかでしたが。



膠原病が診断されました。



帰り道は母親とは一言も会話が出来ず

とても長い道のりに感じました。



夜受け止めきれない私は
そのまま友達と飲みに。

何も友達には話すこともなくいつも通り


そんな時お店のママから電話が



ママは母親以上に母親の存在。
母親に言えないこともママには言えたり。。


『大丈夫?、』


そんな一言に何かが崩れたかのように
外で大泣きしました。


全てを話し終えママは
沢山話をしてくれて最後に



『大丈夫だよ〜!!
死ぬわけじゃないんだから〜!!』


と笑い飛ばしてくれました。



少し気持ちが落ち着いた自分がいました。





膠原病が発症した時 ⑥


発症してから4日目



母親は考えた結果、
関節が痛いから整形外科だ。と


【なんで整形外科?関係全くないよ。】


私は何も考えずそんな事を言いました。





内科は全滅、脳外科もダメで
母親はダメ元で考えついた整形外科。



朝から待ち続け呼ばれた部屋へ。


若い先生がいた事を覚えています
大学病院から来た人でした!


症状を全て話したところ。




【もしかして膠原病じゃないかな?】


……




(え?!、)


その時私は走馬灯の様に膠原病って
調べた時名前はあったしママにも言われてた。。



(なに。何やばい病気なの、、。)


その一言で不安ばかりが頭に。


その後の診察中の会話は全くと言って良いほど耳にも入らず覚えていません。


母親は
【すぐ検査してください。】


そうお願いしましたが、


市内では膠原病の検査をする所がなく
診てもらうことが出来る病院を紹介してもらいました。


その病院は2時間くらい離れている病院だったので
次の日行くことになりました。




まさか整形外科でそんな事になるとも知らず


少し光が見えた反面


検査結果に不安と恐怖の方が強かったです。

膠原病が発症した時 ⑤


発症してから3日目。


朝から違うクリニックへ行くことに。
そこの先生は昔飲み過ぎて肝臓の数値が致死量になり
死にかけた母親が病院に入院した時の良い先生。


母親は【ここなら!!!】

と思って連れて行ったのでしょう。



MRIなど脳の検査をしっかりしましたが


【脳は健康で何も影もひとつもないので大丈夫👍】


と脳はいい結果でした。

が問題点はそこでは解決されませんでした。



悩んで悩んで、


【本当に何もないかもしれない。】
【風邪が強くかかっただけかな。】


と不安な中また家に帰りました。




その時母親は凄く考えたでしょう。


どこに行けばいいのか。
どうしたらいいのか。
病院に行っても風邪としか言われないから
考え過ぎかもしれない。



本当に携帯も見ることも出来ない私


関節が固まっているかの様に
身動きは取れませんでした。




何日も経ち心の中では少なからず

【私死ぬのかな?】

なんて、考えていました。

膠原病が発症した時 ④

しかし次の日も症状は全くと言って良いほど
良くなることはありませんでした。


身体が昔から弱かった私ですが


インフルエンザの時より酷い状態。


【もしかして新型のインフルエンザかな?】
なんて軽く考えていて

次の日は救急外来、市内の小さな病院へ


どちらでもインフルエンザの検査をしましたが

インフルエンザは陰性。


医師からは


【風邪だと思いますよ。様子を見てください。】


としか診断されませんでした。


その日もまた続けて風邪薬をもらいましたが
夜も寝れず苦しんでいる娘を見て
母親は諦めきれず。




私は不調に辛すぎて泣いていました。



私の心の中では大丈夫と言い聞かせてる反面
(やばい気がするな。)
と思いながらも。。




昔から片頭痛持ちの私。


母親は思い立ち2つの病院後
脳外科へ急いで行きました。



最初行った脳外科は待ち時間が長く
座っていることも寝ることも
動くことも出来ない私には辛く
途中で諦めて帰ってきました。



母親には不安を通り越して苛立ちが見えていました。




私が母親でもそうなると思います。


その日も病院に行っても解決せずに
1日が過ぎました。



その時は生きるのが辛いくらい
本当に体調は最悪でした。

膠原病が発症した時 ③


とある日の事です。


熱は39度から40度
全身の関節が痛く
起きることも寝ることも動く事も出来ない状態。
喉は痛く何も喋れず、
何も食べることも出来ませんでした。



その当時実家暮らしの私


小さい頃に離婚をしたので
ずっと母と姉妹二人で母子家庭生活。
(姉は既に家を出ていました。)


母親は焦り、すぐに市内の病院へ。


何時間も待った挙句


その時の病院の医師は、



『ただの風邪だと思いますよ。』



検査もせずそれで終わりました。


市内の病院はどこもこの様な感じ。


病院に行く意味がないのです🤐
 

【そうかな。】
心の中で不安を私も母親も抱えたまま
病院を後に。


その日は薬を飲み様子を見ることにしました。